商業的に作られた映画で面白くないものはごくありふれているが、唾棄すべきだとまで思わされるものはさほどない。しかし、ラース・フォン・トリアーが監督した「ダンサー・イン・ザ・ダーク」はそうだった。これは映画史に唾し、人間を愚弄した映画だった。見終わった後、言葉通りに犯罪的だと感じた。

「芸術とはなにか」という問いに対する答えは、それが問われる時代と場所に密接なかかわりを持ちながら変化しつづけている。だがこの変化が、時代や場所やそれにかかわる主体ごとのあいだでの切断と孤立の軌跡を示すものにすぎないのであれば、芸術は時代や場所や他者性を超えて、その価値を交換することが不可能なものになるだろう。

写真の古典技法のひとつであるGum bichromate processは19世紀にヨーロッパで発明されたが、他の多くの技法同様に特定の発明者がいるわけではない。 ヨーロッパにおけるGum bichromate processは、他の顔料を使用するプロセスと一緒に、1920年代の"ストレート"フォトの台頭によりひとまず姿を消した。 この技法(ゴム印画)は、日本の場合は、明治末から大正期にかけて、当時急激に増えたアマチュア写真家たちの間で非常に流行した。当時の「芸術写真」ブームにおいては、内容はともかく、技術的には洗練された作品が多く作られた。戦前のGum

模写はひとつの連続したパターンを分析し再現する試みであり、そのいずれの過程においても画家は何らかの不連続性の介入を排除することができない。つまり原画を絵画として成り立たせている筆触の構造を本来の時間軸に沿って分解し、まったく同じ段階を経て完全に同じパターンを復元することは絶対にできない。(この構造を問題とせずブラックボックスとして処理する再現の手段は写真である。模写には構造の理解が必要だ。)画家は、そのパターンのいくつかの部分だけを認識し、それらを再現するために別の段階を経て別のパターンを作る結果になる。そこに生じやすいずれは、原画で対象の特徴を描写していた筆触が有機的な連関を失い、具体的な叙述の機能を低下させるということであろう。この意味で模写が一般にもたらすのは抽象化であるといってよい。『湯女図』 佐藤康宏