3. 野島康三ガムプリント作品の素材・技法

野島康三のネガからガムプリントを制作するにあたり、銀遊堂の比田井一良さんと一緒に、京都まで野島の作品を見にいった。今回は、松涛美術館が所蔵している同じネガから比田井さんがブロムオイルプリントを、私がガムプリントを作ることになっていた。

野島の作品は初期のものを中心に、その多くを京都国立近代美術館が所蔵している。私たちが見に行った展覧会は2009年8月に開催された「生誕120年 野島康三 ある写真家が見た日本近代」

以前、野島の1930年代のブロムオイルの作品は数点みたことがあったが、ガムプリント作品はもとより、これだけまとまった量の野島作品を見るのは初めてだった。野島は1910年代から1920年代までガムプリントで作品を制作している。1930年に集中してブロムオイルで作品を制作し始めた後、ガムプリントに戻ることはなかったようだ。

以下、野島のガムプリント作品について、展示から観察できたこと。

諧調とマチエール

ガムプリントを制作していた10年ほどの間を通じて*1、野島はたびたび画像のトーンやマチエール(画肌)に関して試行を続けている。たとえば「髪梳く女」(1914年)や題名不詳の裸婦像2点(1921年)などは、支持体(紙)のテクスチャを強く出し、粗いタッチに仕上げている。画像の明部や暗部は省略され、精細感よりも手作業の痕跡を残すことが優先されている。(筆やおがくずなどを用いて画像を仕上げたと思われる。)しかし肖像作品においてはこういった技法は全く用いられず、どれもなめらかに連続した階調で、整ったマチエールになっている。

Woman Combing Her Hair   Yasuzo Nojima 1914
gum bichromate print 28.5×23.1 The National Museum of Modern Art, Kyoto
Woman Combing Her Hair   Yasuzo Nojima 1914
gum bichromate print 28.5×23.1 The National Museum of Modern Art, Kyoto

ガムプリントは銀塩写真などと比較すると、再現できる階調の幅が非常に狭い。そのため画像が硬調になりやすく、連続した階調を印画上に再現することが難しい。特に大判ネガの精細感を保ちつつ、柔らかい描写のレンズのソフトなトーンを再現するのは至難の業である。その点から見ても、野島康三のガムプリントによる肖像作品は、写真史上に類を見ないほどに、技術的に高度に完成されている。*2

プリントに用いている支持体(紙)は、縞模様のテクスチャにより木炭デッサン用の紙だとわかる。坪量100gほどの比較的薄い紙が使われている。現在手に入るものではフランス製のMBM紙などが代表的。

木炭デッサン紙は薄いので、そのままプリントしただけでは湿度によって波打ったりカーリングしたりする。また、印画が剥落するおそれもある。そのため、平滑さと強度を増すために、野島の作品は裏に別の紙を貼り付けて仕上げてある(裏打ち)。

裏打ちに使用している紙が何かは額装された状態ではわからないが、表面がなめらかなため、和紙なら局紙、洋紙ならケント紙ではないかと思われる。かなり濃い生成り色(アイボリー)なので、印画の色調に合わせて着色しているのかもしれない。

色調(顔料)

ガムプリントは使用する顔料によって色が決まる。野島のガムプリント作品の色調はおおむね「セピア調」だが、黒に近いもの、黄色が強いもの、赤色が強いものと、バリエーションは多い。顔料では、ランプ・ブラック、アイボリ・ブラック、バーント・シエナ、カーマインなどを使って調整しているのではないかと思われる。赤や黄などの色の強い印画は、そのままでは画像の最暗部が黒くならない(赤い絵具をいくら塗り重ねても黒にはならない)。そのため、最暗部と明部では色(明度・彩度)を変えていると考えられるが印画のトーンは連続しているため単色の画像に見える。

ネガ

野島のガムプリントは、ガラス乾板ネガからの密着プリントが多かったのではないかと考えられる。この展覧会では「富本憲吉像」のガラスネガの展示があった。このネガから作られたガムプリントは松涛美術館での展覧会に展示されている。ネガとプリントを比べてみると、トリミングなどは行われていないことがわかる。またこのプリントに用いられたネガは、撮影された原版だと思われる。

ただ、密着プリントを繰り返すことでネガは複製を作ることができる。肖像作品の中には、明らかにネガに加筆修正が行われているものがある。(1915年の題名不詳の作品など)この場合、銀塩印画紙に焼き付けて加筆修正し、それを再び密着プリントで銀塩印画紙に焼いてネガ像にした、「紙ネガ」が使われた可能性もある。

また、展示されていた「富本憲吉像」の原版ネガ(ガラス乾板)には、位置合わせのためのマーク(トンボなど)は記されていなかった。(ガムプリントは何度も焼付けを重ねるため、プリントとネガの位置合わせが重要になってくる。)どのような方法で位置あわせを行ったのかは、ネガとプリントからはわからない。

レンズ

ガムプリントでは引伸ばしは行われていないと考えられることから、撮影時に使用したレンズの特性が、印画にそのまま現れている。野島のガムプリント作品のほとんどに収差の残った柔らかい描写のレンズが使われている。(しかしそのようなレンズも絞りをしぼればシャープになる。「樹による女」*3

1930年以降、野島は収差の少ないシャープなレンズを撮影に使い始めるため*4、撮影時の柔らかい描写のレンズの使用は、ガムプリント期までの野島作品の特徴だと言える。

*1:京都国立近代美術館の所蔵品目録に記されている作品の制作年が、プリントが制作された年度に統一されているのかは確認していないため、いまのところ不明。

*2:名古屋の愛友写真倶楽部(日高長太郎、益子愛太郎など)は、ガムプリントによる白樺派的な風景写真を多く発表し、当時から評判が高かった。しかし技術的な観点から見ると、野島康三の作品に比べ、階調のバランスは悪く、マチエールも雑な印象は否めない。しかし写真史的には、それでも愛友写真倶楽部の作品は、ロベール・ドマシーやエドワード・スタイケンのガムプリント作品よりも、技法的に相当洗練されている。野島康三のガムプリントのクオリティが当時の世界水準を越えていたとは全く言い過ぎではない。野島の肖像作品に比肩し得る技術レベルを持ったガムプリント作家は他にも、梅阪鶯里や小野隆太郎などがいる。

*3:屋外で撮影された「樹による女」(1915年)は、絞りをしぼっているため、他の作品に比べてかなり画像がシャープになっている。この作品は、プリントの段階では空気遠近法を強調するために、背景を淡く近景はコントラストが強くなるよう、やや強めの修正が行われている。結果的に、撮影時とプリント時では逆方向の調整になっているとも言える。

*4:野島の1930年代のブロムオイル作品は、主に印画紙への引伸ばしの際に、光学的にトーンを柔らかく調整している。