1. 野島康三について

Busshukan (Fingered Citrons) Yasuzo Nojima 1930 bromoil print
Busshukan (Fingered Citrons) Yasuzo Nojima 1930
bromoil print 17.2×27.5 The National Museum of Modern Art, Kyoto

銀遊堂の比田井さんからお話をいただき、松涛美術館『野島康三 肖像の核心展』の展示資料として、野島康三が残したネガフィルムからガムプリント(ゴム印画)を作ることになった。

野島康三

野島 康三(のじま やすぞう 1889年2月12日-1964年8月14日)は、日本の戦前期を代表する写真家のひとり。美術に対する積極的なディレッタントとしても有名。

写真作品は、初期のピクトリアリスムの絵画的な作品から、当時の流行に合わせてストレートな表現に移行した。ピクトリアスムの頃のポートレート等が現在も評価されている。

東京写真研究会で活躍。野々宮写真館開設、1932年に中山岩太、木村伊兵衛とともに雑誌『光画』創刊、1939年には国画会に福原信三とともに写真部創設などの活動を行う。

ディレッタントとしては、1919年に東京神田神保町に「兜屋画廊」を開廊し、各種展覧会を開催するとともに、美術家に資金的な援助も行った。後に人間国宝にも認定される陶芸家、富本憲吉の無名時代に資金援助したことなどで知られる。

(Wikipedia記事を整理+加筆)

 

野島康三とは、写真家であるだけにとどまらず、画廊経営、写真誌の発行、また芸術家たちに物心両面にわたる個人的な援助を行うなど、戦間期における芸術シーンのキーパーソンのひとりである。

そして、野島にとってのガムプリント(ゴム印画)作品とは、上記記事における「初期のピクトリアリスムの絵画的な作品」にあたる。事前に触れておくと、野島のガムプリントは世界の写真史にも他に例のない完成度を見せている。ただ、写真工房を構えて多くのスタッフを抱えていた野島が、自分の作品のプリント作業に実際にどこまで関わっていたのかは不明な点が多い。

今回の松涛美術館の展覧会に先行した、京都国立近代美術館での展示『生誕120年 野島康三展 -ある写真家が見た日本近代-』のリリース文にもコンパクトな野島の紹介がある。

nojima yasuzo