8. 焼付け作業 / 野島康三のガムプリント

ガムプリントの焼付けは、紙に感光液を塗り、ネガを重ねて紫外線で露光し、水で洗い流す。これだけである。非常にシンプル。

印画はこんな調子になる。(これは本番プリント。テストや失敗ではない。)

 

野島康三のネガ(松涛美術館所蔵)から作成中のガムプリント。焼付け回数:2回

作業途中とはいえ、見てのとおりこれでは写真でも何でもない。30年前のコピー機なみの画質である。粗い、硬い。

ガムプリントは「始めるのは易しく、マスターするのは難しい」と言われるのは、この技法のシンプルさに対して、連続した階調を作ることの難しさに理由がある。「柔らかいトーン」がガムプリントの特徴だとされることがあるが、階調再現の点からは誤解だと言える。(ピクトリアリズム期のガムプリント作品の柔らかいトーンは、おもに撮影レンズの性質によるもの。)

ガムプリントは、銀塩印画などに比べて再現できる階調の幅が非常に狭い。そのため古いコピー機のようなディテールの欠けた画像になりやすい。反面、この技法で、バランスの取れた豊かな階調を印画上に再現するのは至難の業である。「芸術写真」の時代の野島康三や梅阪鶯里らのガムプリント作品が、写真史上に類を見ないほど高度な技術的洗練に達していたというのは、決して言い過ぎではない。彼らの作品ほど、階調、マチエール、ディテールが完成されたガムプリントは、欧米の写真史の中にも見つけることはできない。*1

Portrait of Mr. S Yasuzo Nojima 1921
gum bichromate print 26.9×18.4 The National Museum of Modern Art, Kyoto

 

今回、野島康三展の展示資料としてガムプリント制作の依頼を受けたとき、これが単なる解説資料の作成にとどまらない作業内容になることは、すぐに思い至った。古い複写機の画像のような印画を提出したところで、それは野島康三のガムプリントの技法解説としては受け容れられない。最も技術的関心の低い鑑賞者にとってすら、その違いは明白に見て取れるだろう。つまり野島作品の技法解説のためには、野島作品の完全復元を目標にプリントを制作するほかはない。

前回の記事にも書いたように、今回のプリントで野島作品の復元を目指すには、フィルム面積の小ささや撮影レンズの問題など、使用するネガの段階ですでにかなりのハンディがある。しかしそれでもなお、連続した豊かな諧調、精細なディテールの保持、美しいマチエールなど、目標とする課題は残されている。

野島がガムプリント作品を制作していたのは、たかだか80余年前のことである。しかし我々の見事な忘却ぶりは、写真技法としてのガムプリントを「ロストテクノロジー」にしてしまった。かつて野島たち日本人写真家が得意とした、豊かな諧調をもつガムプリントを制作できる写真家/プリント技術者/研究者は、現在、日本には存在しない。その点からも、今回の資料作成にあたり、野島作品の完全復元を目標にすることの意義はあると思われた。

そしてまた、写真家である私自身の問題としても、自分もその一端を生きている「写真史」への、ささやかな責任を果たすためには、今回のプリント作業のテーマは、やはり「野島康三(ゴム印画)完全コピー」以外にないのであった。

*1:名古屋の愛友写真倶楽部(日高長太郎、益子愛太郎など)は、ガムプリントによる白樺派的な風景写真を多く発表し、当時から評判が高かった。しかし技術的な観点から見ると、野島康三の作品に比べ、階調のバランスは悪く、ディテールやマチエールも雑な印象は否めない。しかしそれでも愛友写真倶楽部の作品は、世界的に高名なロベール・ドマシーやエドワード・スタイケンのガムプリント作品よりも、技法的に相当洗練されている。野島康三のガムプリント作品のクオリティが当時の世界水準を越えていたとは全く過言ではない。

野島の肖像作品に比肩し得る技術レベルを持った当時のガムプリント作家は、他に、梅阪鶯里や小野隆太郎などがいる。ただ、野島に限っては工房制作を行っており、自作のプリント制作を全て自分で作業したわけではないと考えられる。