9. 焼付け作業 / シンプルな技術

 

ガムプリントが「絵画調」に見えるもっとも大きな理由は、再現可能な階調域が非常に狭いことにある。再現できる階調域が狭いということは、前回の記事の画像のように、かきなぐったようなタッチになりがちだが、それでは「写真」にはならない。ガムプリントを「写真」にするためには、印画のコントラストを高度にコントロールしなくてはならない。狭い領域に階調を極端に圧縮して詰め込むため、ガムプリントの画像は、どこか「絵のよう」に見える。(ただし、階調の圧縮は、全ての映像技術の基本的な原理であり、ガムプリントだけが特別なわけではない。)

 

ガムプリントを「写真」にするには、最初にネガと感光液のコントラストのマッチングを正確に設計し、そしてその設計どおりに精密に焼付けを行っていく必要がある。ガムプリントの特徴として「印画の調子を自在に変えられる」と言われることも多いが、野島康三のレベルのプリントを制作する場合は、それは全くあたらない。

これはガムプリントに限らず、ネガポジ法による全ての写真技法に共通することだが、最もクオリティの高い印画を制作する場合、画像の階調はネガの段階で決定しており、プリントの段階における自由度は、極めて小さい。そこではネガの階調を余すところ無く、美しく印画の上に再現することが求められており、野放図な「表現」よりも正確で精密な技術が要求される。

ガムプリントによる階調再現の方法は、印画を何層にも重ね合わせるということに尽きる。明度やコントラストを少しずつ変えながら焼付けを重ねることで、連続した階調を作る。それだけである。シンプルな技術を、正確に繊細に用いるということ以外に、野島康三のガムプリントにはどんな秘密も無い。

そして、それを実現する手段は、技法への高度な熟練のほかにない。

 

野島康三のネガ(松涛美術館所蔵)から作成中のガムプリント。焼付け回数:4回。顔料層の厚みが出てくる。

 

 

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野島康三のネガ(松涛美術館所蔵)から作成中のガムプリント。焼付け回数:6回。暗部の階調が整ってくる。

 

美しい印画を作るためには、画像のなかにテーマを見出す必要がある。今回の画像においては、ひとつは、背中にまわした手を中心に広がる、鈍く光るような肌の量感だろう。背骨の窪み、肩甲骨の隆起、上げた二の腕から腰まで流れ落ちる、もっとも明るい領域。そして肌の明るい光沢とコントラストをなす、髪の暗い光沢。その暗い髪の質感の両岸を隔てて向かい合う、別種の生き物のようなふたつの手の表情。これらが、顔料とアラビアゴムのどっしりとしたマチエールの中に十全に現れてくれば、この印画は完成するはずだ。

 

銀塩印画紙なら数分でできることが、ガムプリントでは数日から数週間かかる。つまり焼付けの段階で少し手違いがあると、数日から数週間の作業があっさりと無駄になる。ガムプリント制作は、湯水のように時間を浪費する。

今回は納期があるため、作業途中で失敗はできない。納品はキャビネサイズと指定されているが、手作業で画像を作るガムプリントの場合、小さすぎる画像はかえって難易度が高くなる。そのため、A3サイズの大きなプリントを同時進行で制作し、細部を確認しながら納品用のキャビネサイズを制作した。

焼付けは、テストを繰り返しながら慎重に進めた。最終的に印画に重ねた焼付け回数は、16回に及んだ。フルタイムで作業を続け、焼付けだけで2週間。準備から完成までは3週間を要した。

 

 

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野島康三のネガ(松涛美術館所蔵)から作成中のガムプリント。焼付け回数:16回。 ネガの階調を完全に印画上に再現する。

 

裏打ちと仕上げを施し、完成。

9月の下旬に、比田井一良さんのブロムオイルと合わせて松涛美術館に納品。

今回作成したゴム印画プロセス資料は松涛美術館 『野島康三 肖像の核心展』にて技法解説資料として展示された。

 

nojima