2. 日本の写真史とガムプリント

・写真史:歴史の忘却の歴史

 

10年以上前からデジタル写真が普及し、現在では「写真」という言葉は、プリントされた紙のことではなく画像データを指すようになった。

その反動で、過渡期には「アナログ写真の良さを見直そう」とか「消えつつあるアナログ写真を守ろう」と言われたことがある。この、デジタル写真かアナログ写真かという問いは、しばしば「意識の高い」写真家にとって、たいへん深刻で重要な問題であるかのように扱われた。しかしその後、そのような彼らのほぼ全てが、さしたる不都合もなくデジタル写真に移行した。まるで問題そのものが存在しなかったかのように。そして実際に、彼らが熱中していた議論の中心には、本質的な問題など存在しなかったのだろう。

 

いま写真に関わる人間にとって、この一連の事実は記憶しておいていいことだ。なぜなら、日本における写真の歴史とは、まさにこのような忘却の繰り返しであるからだ。そして折々の時代の写真論の不毛さは、写真史が忘却の歴史であることへの自覚の無さによるものだからだ。

この10年の間、「アナログ写真」と呼ばれていたものは、銀塩フィルムで撮影され銀塩印画紙にプリントされた写真、つまり「ゼラチンシルバープリント」のことだった。しかし、写真の技法史を見た場合、ゼラチンシルバープリントは、数多くある写真技法のうちのたった一つに過ぎない。ゼラチンシルバープリントの普及により、かつて存在した非常に多くの写真技法が淘汰され忘却された。

 

つまり「デジタル写真か、アナログ写真(ゼラチンシルバー)か」という質の問いは、写真史においていまに始まったことではない。これまでにも多くの写真史の場面で「あれか、これか」という同様の問いが存在した。それにも関わらず、ゼラチンシルバー写真からデジタル写真への移行が、まるで写真史上に前代未聞の出来事であり、また、写真表現の根幹に関わる問題であるかのように感じられたのは、むしろ我々の「歴史の忘却」のほうにこそ、大きな原因がある。

 

実際にかつて熱心に議論された「デジタル写真か、アナログ写真(ゼラチンシルバー)か」という問題には、さほど内容のある話は見当たらない。それは論者らが、ゼラチンシルバープリントが「写真」と同義語になる前に存在した、無数の「写真」への関心が抜け落ちたまま、その欠落への自覚すら持たなかったからだろう。

 

ここで、デジタル写真もゼラチンシルバー写真も、どちらも高度に規格化された工業製品によって始めて成立しているメディアであることは、想起されるべきだろう。規格化された製品に全面的に依存しているという点において、両者は違いなく共通している。デジタル写真とゼラチンシルバー写真は、写真史の中では対立するのではなく、むしろ共通点の多い似通ったメディアだと言えるだろう。

 

そして実のところ、写真表現における「デジタル写真か、アナログ写真(ゼラチンシルバー)か」という問いは、歴史的スパンで延々と繰り返されてきた「人工美か、自然美か」という問いと全く同形である。そしてこの種の類型的な問いは、問題の水準を引き上げるように思考しない限り、ただ不毛と陳腐を繰り返すだけに過ぎない。

この問題については、また改めて書いてみようと思う。野島康三たちが通過した1930年代の写真表現について考えるときも、この問題は避けては通れない。彼らもまた現在の私たちと同様に、議論に熱中し、そしてただ時流に流されていった。その先には戦争があり、彼らのうちの多くが国策宣伝カメラマンとして戦争に熱心に加担していった。無反省に歴史を繰り返す私たちの先にあるものは、はたして何だろうか。

 

参照:「『写真週報』にみる昭和の世相」 国立公文書館 アジア歴史資料センター

『写真週報』は、戦前〜戦中に内閣情報局が政府の広報宣伝のために刊行した雑誌。木村伊兵衛、土門拳らが参加した。このコンテンツのタイトルはなんらかの政治的配慮により「昭和の世相」となっているが、見ればわかり通り、ここに展示されているのはかつて実在した全体主義の姿そのものだ。

 

ともあれ、私たちがいま、野島康三の時代の写真について評価や検討を加える際に看過してはならないポイントがひとつある。それは、現在の私たちは、忘却の淵によって、野島の時代の写真とは切断された場所にいるということだ。現在の私たちが自明のものとして前提している写真観は、普遍的であるどころか非常に限定的でドメスティックなものでしかない。その写真観を無批判にあてがうことで、野島の時代の写真を解釈することはできない。この事実への自覚なしに、野島を含む「芸術写真」の時代の作家の評価を試みることは、不毛と陳腐のループをまた重ねるだけのことになるだろう。

 

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富本憲吉像 野島康三 1923年 ガムプリント 日本大学所蔵

 

・野島康三の時代のガムプリント(ゴム印画)

 

ガムプリント(ゴム印画、Gum bichromate process)は、忘れられた写真技法のひとつである。ことに日本において、この忘却は徹底している。かつて、最も洗練されたガムプリント作品を作っていたのは、ヨーロッパでもアメリカでもなく、日本の写真家たちだった。ガムプリントこそがもっとも高級でシリアスな写真技法だとする日本の写真家が、1920年代ごろには少なくない割合で存在した。

 

ガムプリントは顔料と固着剤(バインダー)を用いて画像を形成する写真技法(Carbon print)の一種で、19世紀の半ばにフランスで実用化された。画像の諧調やマチエールが絵画調になりやすいため、19世紀末から1920年代にかけて世界的に流行した「ピクトリアリズム(絵画主義写真)」の中心的な技法のひとつになる。

 

日本においてもこの技法は流行し、当時すでにゼラチンシルバーペーパーが生産されていたにもかかわらず、この技法を好む写真家は多かった。後にゼラチンシルバーペーパーを使った、より簡便な顔料印画技法(ブロムオイル)が発明され、日本人写真家の多くはそれに移行する。しかし1930年代にはピクトリアリズムの流行も終わり、それにかわった「新興写真」に始まるモダニズム史観が写真表現の実践を支配した。(この事情は現在もさほど変わらない。)そして日本人写真家のお家芸ですらあった「ゴム印画」を、我々は跡形もなく忘れ去った。

 

野島康三は、1910年代から20年代にかけてガムプリントの作品を制作している。野島のガムプリント作品は、テクスチャの変化など、試行の跡がうかがえる10年代の作品からすでに見るべきものは多い。そして20年代の肖像作品にいたり、その技術は非常に高いクオリティで完成している。

 

今回、野島の残したオリジナルネガからガムプリントを制作するにあたり、その1920年代の肖像作品のプリント・クオリティを念頭において作業をした。